さくら
なかまたちと車に乗り、満開の桜を愛で、ゆったりと湯につかり、
酒を酌み交わし、思い出のミスチルを聞きながら感傷にひたる-。
今年も行ってきました。
年に一度の欠かせない男同士の友情の証です。
さあ、ここからどこへとんでゆこうか……。
かつて外国の文化研究者が、日本で活躍する10代の女性アイドルのステージや
書店に積み上げられた写真集の山を見て、
「なるほど日本が児童虐待に寛容な国であることがよく理解できた」
というような発言をしたことがあるそうですが、
結局未成年の誰それがテレビ局のアナウンサーと飲酒しただの
喫煙現場をスチルに押さえられただのでやれ謹慎だ、
やれ2度目だから引退だ、追放だ、となる現実を見せつけられると
大袈裟な比喩だと笑ってもいられません。
彼らや彼女たちにとって、ティーンエイジャーが人生のピークと
なってしまうのは不本意でもあり、ある種必然でもあります。
まわりにいるのは生身の人間の商品価値を巡ってうごめくオトナの群れ。
夢であり、あこがれであった世界に待ち受ける現実は、
大人になりきれない少年少女には少々刺激が強すぎるでしょう。
しかしその刺激にとまどったり、悩んだりする姿を見せることは
プロフェッショナルとして許されません。
知らず知らずのうちに蓄積されるストレス。
発散の仕方を一歩あやまれば、週刊誌がこぞってネタにするような
スキャンダルはいつだって起こりうるのです。
こうして今日もまた、芸能界という舞台からひとつの花が
歴史の彼方へと消えてゆきました……。
体の調子を本格的に良くしていくために、通おう通おうとずっと思いながら
情報収集を怠っていた整体に、ついに今日行くことができました。
個人でやっており1日に4人しか客を取らない(取れない)という怪しげな(?)
場所でしたが、結果的にはとてもよかったので定期的に通おうかと思います。
肩、腰、背中のどうしようもない辛さ、張り、痛みとともに過ごしている毎日ですが、
原因は「全身の筋肉が極度に緊張状態にあるため」との見立てでした。
2時間近くかけてじっくりとその緊張を解く施術を受けます。
心なしか楽になり、すすめめられた方法のストレッチも早速実践しました。
慣れないことで疲労感が残りましたが、勢い余って久々に献血にも行きました。
…はじめて献血後に貧血でぶっ倒れてしまう方を目撃してしまいました……。
え? 会社?
休みましたよ。
たまには休みをください。
10代への投薬は原則中止ですか。
仕事関係の人に聞いたのですが、幻覚のような症状は確かにあったとのこと。
なんでも、「電話をかけなければいけないのに携帯電話がない!」という
シチュエーションに遭遇し、室内をあちこち探し回るけれども見つからず、
家の外に探しに出かけようとドアノブに手をかけるかかけないかのあたりで
はっと我にかえって事なきを得たそうです。
そのとき、当の携帯電話は枕元にずっと置いてあったのだとか。
その方はもう40歳近いのですが、副作用で一時的に脳症が顕在化してしまうのでしょうか。
今月に入ってから真冬並みの天候が続いているために、例年なら終息に向かう
この時期にインフルエンザがピークを迎えているとのこと。
健康には十分留意したいものですね。
まずは乗員乗客の無事に快哉を叫びたいところですが、
今のところ誰もが乗ることのできる世界でもっとも「ソラ」に近づける乗り物での事故だけに、
心が痛みます。
そして、どうしても心に引っかかりを覚えるのがテレビによる1603便の実況中継。
なぜ中継するのでしょうか。
「緊迫した状況で、国民的な関心も高い」
確かにその通りです。
「乗員乗客60名の動向をいち早く伝えるのは報道機関としての責務である」
異論ございません。
…でも、それって結果オーライの思考じゃございませんこと?
万が一、同機に不測の事態が発生したとき、冷静にそして客観的にカメラが情景を映し出し、
記者が様子を伝えようとするでしょう。
同じ日に起きた、クジラを沖に誘導していた漁船が転覆した瞬間をとらえたのと同じように。
その漁船に乗っていた方のうち、1人は亡くなりました。
残念ですが、情報不感症である現代の視聴者の多くは、「わぁ、すげえ」という以上の感情を
その映像から感じ取ることはできないでしょう。
映像体験なら、本物よりも衝撃的な虚構にすっかり慣れっこですから。
その映像をフォローするのが感情むき出しの記者のアナウンスなのだとしたら、
これほどお粗末なことはありません。
そこまで考慮して事件を報道してこそ、
はじめて崇高とされるマスコミの社会的使命を果たしたといえるのではないか。
そう思えてなりません。
昨日の運転免許の更新で驚いたことを2点ほど。
1.写真がある意味プロ仕様。
…5年前の免許証の写真はお決まりの「指名手配犯」風だったわけですが、
今回は見事にデジタル化。しかもできあがりを見るとレフ板でも
使ったかのように見事に肌がまっ白にとんでいます。
免許証といえば「人に見せたくない身分証明書ナンバーワン」なのですが、
これからはそんな心配もなさそうです。
2.交通事故防止ドラマ(?)がテレビの再放送並み。
…2時間ドラマでも見ているのかと思いました。
制作が東映で主演が里見浩太朗ですからねぇ。
ストーリーはお決まりの飲酒→交通事故→家族の破滅、というパターンでしたが。
さらに、「3.教則本に"ちびまる子ちゃん"キャラがオンパレード」というのも
あったのですが、数年前には導入されていたらしいので番外編扱いで。
まあ、なんにせよ「酒を飲んだら絶対運転するな」ということはよぉく理解いたしました。ハイ。
来週からはいよいよPASMOも開始になるという今日この頃ですが、
電子マネーにとどまらず、
公的な身分証明書もどんどんICチップ内蔵型に変わってきています。
今日更新してきた運転免許証もそのひとつ。
全国順次導入ですが、東京都では今年に入ってからIC化されています。
免許証の「本籍」欄は印字されなくなり、4桁の数字からなる暗証番号を2種類
(実際には連続して入力するので8桁1種類に近いですが)専用の機械で設定します。
カードをかざして暗証番号を入力すると画面には免許証のスキャンデータのようなものが
表示され、本籍も載っています。一方で「住所」欄には「当面表示しないこととなっています」
という断り書き。
中途半端な運用にとどまりそうです。
おそらく次回更新時には暗証番号の入力を求められるのでしょうが、
3年や5年先のことですから、忘れてしまう人が続出しそうですね。
住民基本台帳ネットワークや、いわゆる「国民総背番号制」の導入の是非は
大いに議論されてしかるべきですが、中途半端な互換性に欠く電子化を進めるよりも、
情報の一元管理が可能な、安全かつ強固なシステムを早急に検討すべきだと
思うのは私だけでしょうか。
2冊ほど読了。
まず、「他人を見下す若者たち」(速水敏彦=講談社現代新書)は、
「学問的な根拠が十分ではないが、現代社会における現象として提唱されるべき考え方」を
まとめた本。
最近だと「下流社会」がその最たる例でしょう。
こうした類の書物の多くが一過性の提案として終わってしまうのは、
それでどうすればよいのか、という視点からの展望が
ほとんど描かれないためではないでしょうか。
残念ながら、本書もその傾向から脱し切れておらず、「今一歩」という評価にとどまります。
一方、「インテリジェンス 武器なき戦争」(手嶋龍一・佐藤優=幻冬舎新書)は、
アメリカ同時多発テロをワシントンからレポートした元NHKワシントン支局長と、
外交官としてロシア事情に精通しながら、鈴木宗男問題に絡めて事実上
外務省から抹消された刑事被告人(彼は僕の愛読紙"SANKEI EXPRESS"にも
週一回の連載をもっています)による鼎談の形式を取った外交技術のイントロダクション。
権力の中枢がいかに巧妙な意志によってコントロールされているか、
その一端を垣間見ることのできる貴重な本です。
もちろん、大多数の市民にとって、彼らのいう「インテリジェンス」が日常生活に
どのように影響するのかはほとんど理解できませんし、もっと身近(あるいは即物的)な対応を
政治には求めがちです。
しかしながら、日本が独立した国家として存続しつづけるためにこういった活動が必要であり、
現に暗躍(決して悪い意味ではなく)している人がいるのだということを忘れてはならない、
そう感じました。
P.S.鈴木宗男といえば、昨年議員に返り咲いてから政府に対して質問趣意書を
大量に提出していることが一部で有名ですが、あいかわらずのようですよ。
さて、ここからが最大の難関。着脱の練習です。
どんなにまぶたをこじ開けようとしても、レンズの直径よりも目を広げた状態で
異物を目に近づけるということは、所詮僕にはできない芸当。
左目からトライ、……10分くらいで断念。
気分転換に右目に変えてみると、……やっぱり10分以上粘りましたがダメ。
店員のおねえさんもコンタクト着用なので、何度も何度もつけたりはずしたりしてもらって
それをじっくり観察しましたが、どうして指先から目玉にぴたっと吸い付くのかがわかりません。
目に近づけてみるといつの間にかレンズの角度が変わっていたり、
くっついた、と思っても瞬きをするとまっぷたつに折れ曲がってしまったり、
「これはもう、相当向いていないな」と自覚するのに十分でした。
業を煮やしたおねえさんは、「このレンズは大きめなのでもっと小さいレンズにしましょう」と
別の銘柄を持ち出しました。
確かに大きさが全然違う。最初からこっちを薦めてくれればいいのに、
と思いながら再度奮闘開始。
これが両目各数分後には入ったのです! パチパチパチ。
ところが、おねえさん曰く「初めての方には表面がつるつるすぎて取るのが難しいです」と
非情の宣告。その通りで全然つかみどころがなく取れません。
このレンズはおねえさんに取ってもらい、「仕方がないので大きさも取りやすさも中間のものを」
と3種類目のレンズに挑戦することになりました。
すでにサンプルのレンズを10セット近く浪費しています。まったく迷惑な客です。
そうして眼科に入ってからおよそ3時間後、
なんとか着脱に成功した僕はそそくさとその場を後にしたのでした。
フツー、こんなことにはならないんでしょうね。
つかれました…。
(※昨日からの続きです)
眼科とコンタクトレンズの大手チェーンの両方で受付を済ませると
(こんなこともとてもふしぎです)やがて裸眼で視力検査。
ほどなくショップの方に呼ばれ、問答無用で目に異物を挿入されます。
慣れるのに少し時間がかかりますが、度が合っているわけでもなく、
何をされているのかよくわからないまま時は過ぎてゆきます。
購入するレンズについて意向を問われ、毎日着用するつもりはないので1dayタイプを所望。
すると数種類の銘柄を紹介されますが、細かい違いなどわかるはずもなく、
どれも価格がほとんど同じなので推奨されるがままにレンズを決めてしまいました。
今使用しているメガネを渡し、矯正具合の確認。
すると今度は度の合っているレンズを入れられます。
怖いです。でも、確かによく見えます。
視力検査すると左右ともに1.2です。
なかなかの実力です。
…ところで、眼科に呼ばれません。
医者はこの危機的な状況から僕を救い出してくれないのでしょうか?
と思っていた矢先、ようやく呼び出しがかかりました。
でも、診察時間は10秒ほどでした。
まぶたを押され、引っ張られ、暗い部屋でLEDライトのようなものを目に近づけられ、
「問題ありません」で終了。
これだけで何千円(自己負担以外も含むと)も取られてしまうなんて、
とても悲しいです。
(※もう一日だけ続いちゃいます…)
あらかじめ申し上げておきますが、以下実話です。
僕には、先端恐怖症というのとはちょっと違うのですが、
目の近くに異物が接近するという状況に対する適応力がまったくありません。
たとえば、二十歳を過ぎるころにようやく目薬をさすことができるようになりましたが、
それも容器の先端(抽出口)を目の内側の切れ目に接触させて液を垂らし、
テキーラでも飲んだかのように頭をシャッフルして目の中を撹拌するという具合です。
目の汚れが薬品に影響を与えるのでこうした接触が禁止事項であることは
承知しているのですが、目玉にあの先端を近づけることなどとてもできたものではありません。
そんな僕が、とある個人的な事情、もしくは願望からコンタクトレンズをつけたいと思い、
およそ2年に渡る逡巡の末、ついに今日眼科へと足を踏み入れたのでした。
(※長くなるので明日に続きます…)
久々に、仕事からも離れたところで映画を見ました。
「ドリームガールズ」です。
いくら家庭のテレビがハイビジョンになろうとも、
Blu-Ray(こう表記するんですね)やらHD-DVDが普及しようとも、
5.1chのドルビーサウンドが楽しめようとも、
映画館のスクリーンよりも豪華な仕様になることはないので、
「わざわざ映画館まで行って1800円払って(確かに高い!)見る価値のある作品」
であればそうすべきなのでしょう。
それだけの価値はありましたね。
巷ではジェニファー・ハドソンのすごさが盛んに喧伝されていますし、
実際に相当の迫力を感じました。
と同時に、「ビヨンセはこんなにビューティだったっけ?」とも感じました。
舞台となった時代背景を反映したコケティッシュなスタイルがまたよいのです。
最近は映画と同じくらい音楽CDからも遠ざかっているので、
そちらもそろそろ復活させようかしらん。
めぐり合わせというはどうしたってふしぎなもので、
僕がはじめて自分の意志で「見たいっ!」と主張した映画のリメイク作品をめぐる
環境の周縁にかかわるなどとは一年以上前には想像もできませんでした。
同じように、さる取引先の方から
「○○があなたによろしくと言っていました」などと突然声をかけられ、
その人物が高校時代の同級生であったことにだってどうしようもなく驚きました。
大学に入学し、情報処理の授業で生まれて初めて電子メールなるものを送った相手が、
ある日突然「めざましテレビ」に出てきて歌手デビューしたことを特集されていたのには、
開いた口がふさがりませんでした。
何があるかわからないから世の中がおもしろい。
その通りだと思います。
ビジネスマンである以上は、仕事の面でもそういった経験をどんどんしていきたい-。
それが僕の「欲」です。